人生に無駄な経験なんて無い。

こんにちは、SentidoのShoです。

前回は雑記ブログを書いたのですが、今回も雑記ブログとして私の個人的な話を書いていこうと思います。

メキシコに行くキッカケはアパレルの退職

憧れの土地であるメキシコに実際に行く事になったのは、ようやく就職したアパレルを辞めた事がキッカケでした。

まずは私のアパレル時代のお話。

  

念願のアパレル企業就職

専門学校時代の手書き絵型

高校生の時にハマったHIPHOP、その中でも西海岸のHIPHOPが好きで、次第に「チカーノ」と呼ばれるメキシコ系アメリカ人のHIPHOPを聞くようになった事でメキシコに興味を持つようになりました。

同時期にメンズのストリートファッションではメキシカンテイストな生地や絵柄が流行り始めて、さらにメキシコに興味が湧きました。

当時もグアダルーペマリアモチーフの服は色んなブランドから出されていました。

アパレルのデザイナーを目指していた当時、専門学校を卒業後、ダーツバーのアルバイトを経て念願のアパレルブランドへ就職しました。

会社自体は全くメキシコとも関係なく、デザイン自体も好みとは全然違いましたが、中途採用で入社するのはなかなか難しく、ようやく採用が決まり、本当に嬉しかった。

壮絶なアパレルの現場

私が入社したアパレルの会社はかなり体育会系の厳しい会社で、朝から怒鳴られたり、蹴られたり、毎日ピリピリした会社でした。

*基本的にはアパレルは厳しい会社が多いようですが、厳しさは会社それぞれであり、全ての会社がこんなに厳しい訳ではないと思います。

私は企画・生産管理と言う職種で入社し、主に仕様書の作成、サンプルチェックが主な仕事。

9時前に出社し、掃除から始まる。毎日の残業は当たり前で、ほぼ会社で晩御飯を食べ、23時くらいに会社を出て、倒れるように寝る生活。

それでも仕事がスッキリと片付く事は無く、デスクに山積みのサンプルとFAX、返信しなくてはいけない大量のメール、折り返し待ちの電話の付箋。全てが最優先と言うカオス。

「次の展示会の頑張り次第で、MACチームと企画チームから一人ずつ会社を辞めてもらいます」と言う本当のクビレースもありました。

当時の上司はこう言っていました。

  

「この会社では超仕事できる奴が普通のレベル。他の会社で並みに仕事できるだけの奴は通用しない会社」だと。

  

激務の中の中国出張

中国発注分の担当をしていた企画チームの社員が突如会社を辞めた。

もちろん全く引き継ぎもない。

このお陰で、毎日仕事で手いっぱいの企画チームから一人、その人が行くはずだった中国出張に専務と行かなくてはいけなくなり、色んな理由から私が行くとこに。

出張前日は深夜2時過ぎまで残業しても仕事は終わらず、上司に少しだけ仕事をなすりつけて翌朝出国。

生地市場、製品市場などを巡り、中国の商社の方と食事会。

この時期はもう忙しさのピークであまり覚えていないくらいヘトヘトでした。

  

崩壊

中国出張から帰国後、プライベートもうまく行かない事が重なり、疲労の限界を超えました。

働く事は困難と診断され、毎日しっかりご飯を食べていたのにも関わらず、軽い栄養失調との診断。

この時、もう仕事の忙しさに戻るのが困難だと判断し、退職。

  

「メキシコ行ってみよう?」

この事態に、きっと一番心配していたであろう私の母。

実はアパレルを目指したのも母親が連れ回してくれた事で見つけた初めての夢でした。

アパレルと言う初めての夢に挫折しヘトヘトの私に母が言ってくれた一言が、また私の人生を変えた。  

  

  

「メキシコに行ってみよう?」

  

  

  

初めてのメキシコで見た衝撃

アパレルで徹底的に叩き込まれたのは仕事を正確に素早くこなす事。何事にも細かく指示、指摘。無駄を省き、白か黒か、グレーなんて許されない、そんな仕事のやり方でした。

  

初めてのメキシコでの見たのは、そんなきっちりした仕事を美徳とする日本とは全然違う、おおらかな世界でした。

  

時間にあまり縛られず、細かいことは気にしない。

  

もちろんそれはいい事ばかりでは無いし、そう見えても事実は少し違う事もありました。でも正直なところ、なんでこんな緩い事だらけでこの国が成り立っているのか死に物狂いでアパレルで戦った私には理解できなった。

  

理解できなかったけど次第に「それでもいいんだ」「それでも大丈夫なんだ」と私は救われた気がしました。

  

  

日本への興味

初めてのメキシコに衝撃を受け、その後何度もメキシコに行く事になるのですが、メキシコを知り色々する勉強する中で、自然と日本についても興味が出てくるようになりました。

比較するために知識が必要になったものそうですが、いかに日本が恵まれ、誇れる仕事をしているか、そう言う日本の素晴らしさが段々と理解できるようになったのかも知れません。

まとめ

「日本は窮屈で海外は自由だ」と聞く事が時々あります。

確かに日本の厳しく細かい、ある意味神経質な社会の中にいると、「こんなにきっちりしなくてもいいのでは」「細かい事ばかり気にし過ぎ」を思う事はあり、海外のおおらかな「ゆるさ」に救われ憧れます。

  

しかし、日本の真面目な性格が、何度も天災に襲われても、戦争で焼け野原になっても、数年で街を立て直す結果に結びつき、便利なもので溢れ、とても清な日本を支えています。

  

私もメキシコに救われた部分も沢山あり大好きな国ですが、日本には日本にしか無い良さがある。

それを理解した上でメキシコを調べる事で、私ならではのメキシコの良さを伝えていけたら幸いです。

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